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「ペガサス」15号が刊行となりました!

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今号は、キリ番の15号ということで、「鳥瞰図」に鈴木牛後から文章をいただきました。14号の大川竜水追悼特集ほか同人作品鑑賞をしてくださっています。

エッセイコーナー「吟遊漫録」は伊藤左知子執筆の三回目で「いつか俳画を」。俳画は「俳句と絵の取り合わせ」が腕の見せ所という蕪村の言葉など、俳画の奥義と魅力をたっぷり語っています。

評論コーナー「雑考つれづれ」は東國人による「原民喜の俳句③」。いよいよ戦争に突入、広島で被爆する前まで船橋中学校で教鞭を執っていた時代の俳句を取り上げています。


以下、同人・詩友作品から1句ずつ曳きます。

★同人作品(掲載順)

青蜜柑ふたつ並んで充電中       伊与田すみ
玄関にまだ濡れているパナマ帽     岡田淑子
感度良好アメンボの長き足       きなこ
振り向くな月に本心見ぬかれる     篠田京子
帆船を妊む月夜の硝子瓶        瀬戸優理子
手始めに二メートル浮く秋高し     田中勲
すすき野もススキノも好き漫ろ神    徳吉洋二郎
半身を昭和に埋め花牛蒡        中村冬美
烏瓜国のかたちの点滅し        羽村美和子
戦場に非常口無し日雷         水口圭子
どんぐりころりビュッフェ形式の平和  陸野良美
蓑虫に打診風がざわついて       浅野文子
空欄ばかりの答案の束秋の暮      東國人
金木犀ふふふふひひひ横隔膜      石井恭平
日時計の針の初冬まで届き       石井美髯
小鳥来るアトムの未来映る窓      伊藤佐知子

★詩友作品(掲載順)

握るもの無き手の熱さ十三夜  亀山こうき
鳥渡る乗船名簿記載なし     坂本眞紅
占いの館駆け込む夕紅葉    木下小町
メガネ拭く前世は蜻蛉だった彼 下山春陽

発売中の「角川俳句年鑑2023年度版」の「全国結社・俳誌」にも「ペガサス」が掲載されています。ご興味ある方は、どうぞご覧ください。

※見本誌、ご覧になりたい方はお送りしますので、お問合せください。⇒お問い合わせフォーム
※誌面参加希望の方は、お近くのペガサス同人にお声がけください。協議の上、決定いたします。
(俳句初心者は詩友からの参加になります)

# by pegasus2018 | 2022-12-11 13:02 | ペガサス最新刊(12号以降) | Comments(0)

訴歌ーーきなこ

【吟遊漫録】
 訴歌

                   きなこ


ハンセン病をご存知ですか?私は、故樹木希林さんが演じられた映画「あん」で、そのような病気があったと思い出しました。ハンセン病は、らい菌による慢性の感染症で、現在は治療薬もあり、在宅での治療も容易であると言います。ハンセン病は、発病力は弱く、一九〇七年当時から解っていたことであるにもかかわらず国は一九九六年まで、九〇年の長きに渡り強制隔離・患者撲滅として、人として享受すべき人権を奪ってきました。私の育った町にも顔が歪み、皮膚もただれ、視力障害の方がいらっしゃいました(あれがそうだったのか)。明治生まれの祖母は、偏見に満ち満ちた言葉を発していました。


当時の療養所は、島や山の僻地に在り、状況も分からず送られた乳幼児も含む子どもたちはどれほど不安や恐怖を感じた事でしょうか。若い父や母は残してきた子供たちに胸の張り裂けるような思いだったはず。


「訴歌」は療養所に収容された方々が、抗い、生き、歌ったハンセン病患者の命の一行詩です。短歌、俳句、川柳の区別なく千人余りの方々の三千三百余の歌は謂れのない差別に対する叫びの言葉なのです。

赤い靴

・とまどいを持ちて撰べり子に履かす赤き靴青き靴小さき小さき靴

・遠い日の思い出を抱く赤い靴


下駄を履く

・不潔などと言ひても今は術もなし唇に探りて下駄はく吾は

・春の夜を口もて探るおのが下駄

・新しき下駄の鼻緒の目じるしに結びし小布手探りてみる


 思いやる

・籠枕かなしき離籍して安堵

・倖せになれよと妹を嫁がせてそれより会わず病めりわが夫

・寮園で頼り出さぬも思いやり


 視力が衰える

・蔦わか葉陽に透く朝は窓ぎはの試視力表はほのかに青む

・視力日々衰へゆけばただ白き光の中に身はありにけ

・うすれゆく視力へ母の写真出し


 逃走して死す

・寒風に荒くゆれゐる波がしら友を沈めて月にきらめ

・患者等のかって逃走せし海峡秋の光にあくまで蒼く        

・妻に子に逢はむと島抜け試みたる病友幾十呑みし海


母の声

護送車の窓にすがりつくごとくして叫びし母の声を忘れず

・録音にとりたる母の声を聞く早春の陽の匂う縁先

・治ったら帰れと母の声たしか


りんご

・生家のリンゴ双手に享けて童めく

・みちのくの血につながっているりんご

・点字読む舌よろこびぬ青林檎


笑い合う

・手術して共に明るき目となりし顔近近と寄せて笑ひ合ふ

・壁越しに話して寒夜笑い合い

・我も妻も何処かに痛みを常持ちてしかめし顔を見あわせ笑う

・わが義眼の瞳の位置のずれたるを夫が笑へばわれも笑ひぬ


訴歌に収録された作品は、一人の編集者が「患者の生きた証を残したい」と、全国の療養所を廻って集められた千冊もの膨大な作品をまとめた作品集です。


 どのページから読んでも、どこで終ってもよくただひたすら読んでください。私もまだ、三千三百余の作品のわずかしか読んでいません。ただ、嘆き悲しむばかりではなく、隔離された状況でも生活を楽しもうとする姿に人間の強さがあります。


ハンセン病は一九四七年に治療薬の使用がはじまり、治癒する病気です。にもかかわらず一九五一年に増床する療養所もあり、ハンセン病患者への誤解は解けず、教育・職業選択・結婚・住居等々まだ、壁は立ちふさがっているのです。



※「ペガサス」第12号(2021年12月刊行)より転載



# by pegasus2018 | 2022-11-04 10:59 | 吟遊漫録(エッセイ) | Comments(0)

【吟遊漫録】

インディアンからの伝言

                   きなこ


〈ワシントンの大首長へ そして未来に生きる すべての兄弟たちへ〉 で始まる伝説的スピーチは「父は空 母は大地」と言う美しい絵本になった。


西部劇が好きだった(らしい)父は、幼い私をよく映画館に連れて行った。幼い私の頭にインディアンは悪者だと刷り込まれてしまった。彼らは白人を襲い、略奪し最後は白人に屈する。白人が制作した映画であるから当然のことである。

ヨーロッパから次々に新大陸に渡った人々は、先住民族の大地を開拓し植民地とする。その頃、アメリカ大陸も未開の地が沢山あったであろう。私がTVで見ていた「大草原の小さな家」も開拓が始まった頃のアメリカだったのだろうか。現在、多種多様な人種が集まるアメリカでは、いまだ白人が優秀であるという意識が消えていない。


一七七六年、アメリカ独立宣言。

一七八九年、ジョージ・ワシントン初代大統領就任。

先住民絶滅作戦を行う。


『その時、何人の者が死んだか知らない。いま老年という高みからふりかえってみても、殺された女や子どもが曲がりくねった谷に沿って積み重なり、散らばっていたありさまを、当時のまだ若かった私の目が見たままに思い出すことができる。そして私は、その時血に染まった泥の中で何かが死に、それは吹雪に埋もれてしまったということがわかる。人びとの夢がそこで死んだのだ。それは美しい夢だった……ブラック・エルク』


一八五四年、十四代大統領、フランクリン・ピアスは、抵抗を続ける先住民の土地を買い取り、代替の居留地をあたえると申し出る。

一八五五年、部族連合の代表・シアトル首長は、これ以上の闘いは無益と判断し、指定された居留地への移動を決意。この条約に署名し、アメリカ大統領へ伝言したとされる。

 

はるかな空は 涙をぬぐい

 きょうは 美しく晴れた。

 あしたは 雲が 空をおおうだろう。

 けれど わたしの言葉は 星のように変わらない。

 ワシントンの大首長が 

土地を買いたいと言ってきた。

どうしたら空が買えるというのだろう?

そして 大地を?

わたしには わからない。

風の匂いや 水のきらめきを

あなたは いったい どうやって買おうと

いうのだろう?

(中略)

 美しい大地の思い出を

 受けとったときのままの姿で

 心に 刻みつけておいてほしい。

 そして あなたの子どもの

そのまた 子どもたちのために

この大地を守りつづけ

わたしたちが愛したように 愛してほしい。

いつまでも。 どうか いつまでも。 

この絵本は、寮美千子さんの編・訳であり、著作ではない。原文は、伝言だと明記されている。シアトル首長は、原住民の言葉で語っただろうし、誤訳されることもあるだろう。長い時間を掛けて、別の言い伝えが、加えられたり、削られたり、違ったりしたかもしれない。NET上では、そのような伝言はなかったとか、手紙だったとか、史実ではなく創作だとか中傷も含めていろいろな意見が飛び交っている。そんな思惑は気にせず、この美しい絵本を多くの人々に読んで欲しいと思う。シアトル首長は、地球の未来がこのような状況になるとは予想もしなかったであろう。


二〇二〇年~現在、人類を脅かす感染症のパンデミックに襲われている。人類は、快適な生活の為、あまりにも多くのものを破戒してきたのではないだろうか。かなり前から、人類の行為に地球が病み始めているという意見もある。

http://ryomichico.net/seattle.html

右記のページで全文を読むことが出来ます。


※「ペガサス」第11号(2021年8月刊行)より転載




# by pegasus2018 | 2022-10-11 11:44 | 吟遊漫録(エッセイ) | Comments(0)
ペガサス第14号が刊行となりました。

今号の内容は次の通りです。

・評論コーナー「雑考つれづれ」は、東國人が担当する「原民喜の俳句」第二回目
 日本が戦時下に入っていく中、それと相反するように、家族への眼差しを深める民喜の句を鑑賞してます。

・エッセイコーナー「吟遊漫録」は、伊藤佐知子による「句碑に遊ぶ」
 自身が暮らす東京都江戸川区にある句碑を探訪、発見を綴っています。

・「鳥瞰図」は川名つぎお氏から「ペガサス」5周年記念への激励として「俳句形式を思う」の玉稿を頂戴しました

・「追悼 大滝竜水」では、大手術から5年の闘病を経て5月に逝去した同人、大川竜水の20句抄出と同人6名による一句鑑賞
  
 
その他、レギュラーコーナー「ぷりずむ」「錬成20句抄・合評抄」、同人・誌友作品を掲載。

作品より、1句ずつ曳きます。


★同人作品(掲載順)

憲法改正鉄線の土入れ替へる      石井美髯
水饅頭母の忌日につく嘘は       伊藤左知子
なお高し再審の壁 蚰蜒        石井恭平
ジューンブライド食い違いはそのままに 伊与田すみ
沖縄忌くびにタオルを巻いている    岡田淑子
牛乳の膜を破れば春の月        きなこ  
蛍が一匹人の世の入り口        篠田京子
母の日の母閉じ込める玉手箱      瀬戸優理子
海の日のテラス指輪の生えた指     田中 勲
向日葵の首の高さに水平線       徳吉洋二郎
ゆく春の火種をひとつ消さずおく    中村冬美
ほたるぶくろ懺悔室なら空けてある   羽村美和子
レッテルを貼られ途惑う冷奴      原田昌克
和民弁当に線香が添えてある      檜垣梧樓
語部が熱源となる暮の春        水口圭子
空欄の答え風船手を離れ        陸野良美
大花野埋めなくても消える骨      浅野文子
序破急の声にて誘う猫の恋       東國人

★詩友作品(掲載順)

いつまでも黄昏ている金魚玉     木下小町
口笛の音程狂う栗の花        下山春陽
四葩であった あの人の手ではなく  亀山こうき
荒梅雨のとつとつ語る怪談師     坂本眞紅

★追悼特集より

浮いてこい遊び上手の持ち時間
白シャツは三途の川で濯ぐから
秋蝶にふわり未来の重さあり      大川竜水

※見本誌、ご覧になりたい方はお送りしますので、お問合せください。⇒お問合せフォーム
※誌面参加希望の方は、お近くのペガサス同人にお声がけください。協議の上、決定いたします。
(俳句初心者は詩友からの参加になります





# by pegasus2018 | 2022-08-12 17:05 | ペガサス最新刊(12号以降) | Comments(0)

雑考つれづれ

  

柿本多映の世界   ‐原風景と表現       羽村 美和子


 平成276月、第39回現代俳句講座において、柿本多映氏の講演を聴く幸せを得た。


 テーマは「橋閒石の周辺」。俳句に見る閒石の心情や信条、それに対する多映氏の思いを、エピソードを交えながら話された。講演を通して見えてくる、多映氏の俳句やその姿勢の一端に触れてみたい。


  母の背に匂ふ焼け野は暗かりき  橋閒石『雪』

  雪降れり沼底よりも雪降れり   

 

 金沢、雪、母は閒石の原風景であり、閒石自身も原風景の地場からは逃れられないと述べていたとのこと。また永田耕衣も、原風景の中の哀しい経験は、生きる哀しさであり、俳句を書くことで、自他が救済されると述べていると話された。 

 

 かつて私が通った俳句教室のテキスト「諸家五十句」に、多映氏の『夢谷』『蝶日』からの50句があった。


国原の鬼と並びてかき氷      『夢谷』

枯芦の沈む沈むと喚びをり      〃

出入口照らされてゐる桜かな     〃

回廊の終りは烏揚羽かな      『蝶日』 

誰か来て石投げ入れよ冬の家     〃

我が母をいぢめて兄は戦争へ     〃

広島に入りて影濃き日傘かな     〃


 当時初学の私でさえ、体に電流が走った。多映氏の出自である三井寺には及ぶべくもないが、私の原風景とも重なる句がたくさんあった。自然や家屋のふとした明るみや暗がりに、小動物や昆虫、そして神も鬼もいる。しかもそれを写生ではなく、一度抑えたメタファーとして表現されている分、経験から来るいろいろな景が浮かび、鳥肌の立つ思いがしたのを今も覚えている。掲句前半は、自然と共に生きる時に感じる、喜びや哀しみ或いは畏怖の念である。掲句の後半<回廊の><誰か来て>の句は、復刻版『夢谷』に、

 

 唯一広い境内で出会う小動物や昆虫、或いは不思議な樹や花は格好の遊び相手だった。勿論蛇や蜥蜴もお友達の範疇にあったのだ。その頃の私は無意識のうちに、自分が兄達とは違う異なる立場にあることを感じとっていたのかも知れない。この自然との戯れはその心の隙を埋める必然的な行為でもあったのだろう。


 とあるように、<>の哀しさ。男系社会の中で自らの居場所を探す哀しさ。<我が母を><広島に>には、戦中戦後を生きる人の哀しみがある。それらは、永田耕衣の言う「生きる哀しさ」そのものである。


淡水へはらわた返す泳ぎ去れと 橋閒石『無刻』

階段がなくて海鼠の日暮れかな   『和栲』

銀河系のとある酒場のヒヤシンス  『微光』


 掲句一句目は、閒石が旧派から抜けだそうとしていた頃の句で、哀しみの句として褒めた耕衣は、意味ではなくまず感じることが大切だと言ったという。二句目は多映氏が大好きな句で、閒石そのものの心象句とのこと。三句目は「白燕」の句会終了後の、俳句談議の様子で、閒石の句でも平気で批判する自由さ平等さは、同人誌の良さだと述べられた。これらは閒石の紹介であり、多映氏の俳句に対する思いでもある。


 俳句を書くことは、「一つの実存の核から無限にひろがる虚の世界へと思念を一歩踏み入れる結果ともなる」(『時の襞から』)と述べておられる。


瞑れば花野は蝶の骸なる      『夢谷』

人体に蝶のあつまる涅槃かな    『蝶日』

洞の木や蝶の骨など重なりて    『花石』

このゆふべ柩は蝶に喰われけり   『白體』

岸までは聞こえる蝶の翅づかい   『粛祭』


弱々しい<翅づかい>の音、体調を崩された時のものだろう。『粛祭』には<手術始まる蒼馬に月を奉り>など入院された時の句も見られる。しかし今は喝采の<カーテンコール>。ご自身を労りつつ、これでよしとの思いなのだろう。<凍蝶>は、虚の世界にありながら、<カーテンコール響くなり>の措辞により、現からも影が見えるような気配だ。


穴を掘る音が椿のうしろから    『花石』

椿の夜白衣の人の通り過ぐ     『白體』

内視鏡淵の椿の溢れ溢れ       〃

約束が違ふ鏡の間の椿        〃


 椿の句もかなりあり、印象深い。不気味さに、人は意外にも惹かれる。掲句一句目、昼とも夜とも書かれていないが、夜のイメージだ。この景からは何も見えない。辛うじて見えるとすれば、<椿>と言うよりも花も含めて椿の木。それが<穴を掘る>人を隠し、<>だけが聞こえる。二句目は、<椿の夜>のイメージ。<白衣の人>とは、死装束の人か。三句目は、<内視鏡>で検査をしているときの心象。不安の象徴としての<椿>。四句目は、<約束が違ふ>のは、この<椿><鏡の>中の<椿>、即ち虚像であるからだ。虚像は虚像を呼び、作者を嘲笑っているかのようだ。<椿>には、奈落の底に人を引き込んでしまいそうな妖気がある。


 <夜なれば椿の霊を真似歩く 永田耕衣>を引いた興味深いエッセイがある。


 ……あの頃の直感的な不安。それは多分、椿の霊に呑み込まれそうな体感をしたからではなかろうか。あるいは今、この私が、それを実感しているからかも知れない。耕衣氏の句は、諧謔的自我の表出であろう。存在即エロチシズムと言う耕衣翁なればこそ、即、椿の霊となって椿を連れ歩くことが可能なのだ。(『季の時空へ』)


 蝶しかり、椿しかり、原風景のとりわけ哀しさや不安や畏敬の念を、陰陽師よろしく自在に操り、詩の言葉にされる。だが、それは簡単ではない。一旦自分の内面に取り込まなければ出来ない。虚と実の世界を往き来する心の表出は、一方で、自分を見ている自分も見えてくる。以前、「季語の前にあるものは自然で、自然との関わりを体で引き受けているか、生も死もみな受け入れ、感じることが大切」と多映氏より直接伺ったことも思い出される。


起きよ影かの広島の石段の      『仮生』


 掲句は、五十年経って出来た句と、講演で話され、会場がどよめいた。広島に原爆が落ちた時、爆心地近くの銀行の石段に座っていた人の影である。熱線で周囲の石は白くなり、人を通した熱線は人の影を黒々と残した。多映氏もそれを後に見られたのだ。まずは感じたことを言葉にしておいて、いつもあれこれ考えているうちに、ある日、影と石の間に霊を感じた、認識したとのこと。認識から生まれた句なので、写生ではない。違う刺激を受けて俳句が出来るとも言われた。非日常を感じとる感性、認識の鋭さに圧倒される。


送り人は美男がよろし鳥雲に     『仮生』

山姥は山に向かひておーいお茶     〃

魂魄はスカイツリーにいるらしい    〃

川内原発・本格芋焼酎有り(マス)  「連衆」71


 掲句一句目二句目、俳諧味たっぷりの句である。時流をうまく捉えておられる。三句目もやはり現代である。場所は、東京大空襲の中心の地、その<魂魄>であろう。谷口慎也氏は「連衆」で、「<魂魄><スカイツリー>にまでもっていく感覚の斬新さ」と述べておられる。


 四句目は、多映氏がその手の内を話して下さった。年毎に俳句に対する考えの違いがあり、今までとは違う方法でと、一句のために毎日あれこれ考えている。テレビのコマーシャルで、「本格芋焼酎有ります」とやっていた。芋は燃料にもなり、芋づるは食料だった戦時中の体験と重なり、<川内原発>とも重なったということだ。<(マス)>の表記は昔文字が読めない人のためにあったということだ。単に時流に乗るのではなく、原風景の中で認識されたものと、眼前の新しい景とをぶつけ、表現の時空を広げておられることに感動する。


 川名大氏の『俳句は文学でありたい』の中に、「重層的な構造を持つ俳句は、象徴と寓意のはざまに表現すべき豊饒な世界がある。それらを表現するには、目に見えない世界を摑む才能が必要だ」という一節がある。正に多映氏の俳句がそうであると確信する。


 「蝶」のところで触れたが、原風景を基に表出される心象の風景も少し変化して来ている。ベースは絵巻のような世界で、過去から浮遊してくる魂を感じる。近頃は、広い時空を創り上げながら、軸足を現在に置き、過去や未来に浮遊する魂が加わった感がある。


 服部土芳の『三冊子』に、「…新しみはつねに責むるがゆゑに、一歩自然にすすむ地より顕るるなり」と芭蕉も新しみ即ち独創性を求めて、痩せる思いだった様子が記されている。自身の詩精神を鍛え育てることの重要性である。閒石や多映氏の姿勢と重なる。


真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ   『夢谷』


 心身共に傷つきながら<骨まで見せて>ひたすら<飛ぶ>鳥は、柿本多映氏そのものだ。


(平成27年「連衆」72号掲載の文章に加筆)


※「ペガサス」第12号(2021年12月号)より転載




# by pegasus2018 | 2022-08-02 11:09 | 雑考つれづれ(評論) | Comments(0)